いつの日か感謝を伝えられたら

もしいつかお会いすることができるなら、特に感謝を伝えたい方が何名かいます。

まずは震災当日。避難所となった「双葉中学校」で、震災直後から先頭に立って指揮をとっていた女性の方(おそらく双葉中学校の教員の方)。翌早朝に緊急避難勧告がでた後も、ずっと最後まで残り指揮をされていたのだと思います。学校を出発するときに、一言しか感謝を伝えることができませんでしたが、その方の勇敢な姿は今も目に焼き付いています。その一方で、残念ながらその真逆の方もおり、警察の静止を振り切ってまで車を発進さようとする方がいたのも現実でした。

そして「双葉中学校」の生徒さんたち。あの日、野球部の子たちが、おそらく慣れない手つきで一生懸命に握ってくれた野球ボールのような「おにぎり」、緊張とした面持ちで「どうぞ」と言って避難者一人一人に配ってくれたおにぎりの味は今も忘れられません。そしてこれからも一生忘れることはないと思います。そのほかにも、トイレの用の水を確保するためにプールの水をバケツでトイレまで運んだり、緊急避難の際には、ご年配の方を率先して背負って階段を駆け降りてくれました。あの子たちは(という言い方も失礼かもしれませんが…)、今、優しい心と勇気をもった立派な大人になっているんだろうなぁ….。

そして震災翌日。一緒に避難していたご年配のご夫婦が、息子さんの携帯電話番号が分からないとのこと。持病をお持ちの方でしたので、一刻も早く息子さんに連絡を取りたい中、「東芝」に勤めておられるのは分かっていたので、東芝の青森支社へ電話しました。すると、とても親切な方がでて、同情してくださり、本社とも連携して探してくださるとのことでした。ご自身も震災後の大変な状況の中、何回も連絡を交わしてくださり、数え切れない支社や支店の中から、息子さんを見つけ出してくださいました。この方のおかげで、ご夫婦を息子さんの元へ無事お送りすることができました。

その他にも、ご自身やご自分の家族の方も大変な中、避難者のために力を尽くしておられた方がたくさんいました。その方々のことを思い出すと今でも本当に胸が熱くなります。

この11年間、辛くなかったといえば嘘になりますが、こうした方々のおかげで今があると考えると、1日1日を大切に生きていく力になります。そしてわたしも人様の役に立てるような、そんな人生を歩んでいきたいと気持ちが強まります。

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